ウクライナ侵攻による食糧危機(日本経済新聞抜粋)(記事掲載)

2022-3-23|アリタニュース

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1914年10月、第1次世界大戦に参戦したばかりのオスマン帝国は、ダーダネルス海峡を封鎖した。ロシア産小麦が英国やフランスに向かう唯一のルートだ。大戦突入時、世界の小麦在庫は5年平均を12%上回っていたが、一夜にして世界の取引量の20%余りが失われ、食品市場は狂乱に陥った。小麦の国際指標である米シカゴ商品取引所の先物価格は同年6月から約20%上昇していたが、次の四半期にはさらに45%急騰した。

現在ロシアとウクライナはそれぞれ世界1位と5位の小麦輸出国で、合計で世界の年間販売量の29%を占める。一部の不作や新型コロナウイルス下の買い占め、その後のサプライチェーン(供給網)の混乱を経て、世界の在庫は5年平均を31%下回っている。

だが、今回は欧米による禁輸への脅威が火を付け、炎は第1次大戦下にも増して燃え上がっている。2月中旬に2021年までの5年平均を49%上回っていた小麦価格は、2月24日のロシアのウクライナ侵攻開始からさらに30%上昇している。不確実性はとてつもなく高い。シンクタンクの国際食糧政策研究所(IFPRI)がまとめるボラティリティー(価格変動性)の指標は真っ赤に点滅している。

オランダの金融大手ラボバンクは、小麦価格はさらに3割強上昇する可能性があるとみている。ただ、世界の食料供給に及ぼすダメージは、小麦市場をはるかに超えて広がり、紛争そのものよりも長期化するだろう。

ロシアとウクライナを合計すると、世界で取引されるカロリーの12%を輸出している計算になる。両国は、大麦やトウモロコシからヒマワリまで、人間や動物が消費する多くの油糧種子や穀物の輸出国トップ5に入る。ロシアは肥料の主原料の最大供給国だ。肥料がなければ作物は弱り、栄養価が低くなる。

侵攻開始前の2月でさえ、国連食糧農業機関(FAO)が算出する世界の食料価格指数は過去最高を記録していた。食料不足とされる人の数は8億人と、過去10年で最多だった。この数は近くさらに増加する可能性が高い。食品価格の上昇はインフレ高進にもつながり、エネルギー高がもたらす価格上昇圧力に拍車をかけるとみられる。

侵攻の影響は3つの形で表れるだろう。つまり、現在の穀物輸送が混乱し、ウクライナとロシアにおける将来の収穫が減少または入手不能になり、世界の他地域で生産が減退するというものだ。まず輸送面だが、平時の場合、小麦や大麦は夏に収穫され、秋に輸出され、2月にはほとんどの出荷が終わっている。

だが今は平時ではない。世界的に在庫が少ない中、中東や北アフリカを中心とする黒海地域からの小麦の大口輸入国は供給の確保に気をもんでいる。手に入らないからだ。ウクライナの港は閉鎖されている。爆撃を受けた港もある。ウクライナ北部経由でポーランドへ抜ける内陸ルートは、あまりに遠回りで現実的ではない。ロシアの穀物を積み込もうとする貨物船は黒海で砲撃を受けている。しかもほとんどの場合、保険契約ができない。

代替供給源を確保しようにも高くて手が出せない。エジプトはこのほど、小麦の買い付け入札を2回連続でキャンセルした。参加者が2週間前の20社からわずか3社に減少したうえ、胃が痛くなるような高値を提示されたためだ。さらに気がかりなのは、世界の13%近くをウクライナが占めるトウモロコシの輸出が、例年春から初夏にかけて行われることだ。平時にその大部分を出荷するオデッサ港はロシアの攻撃に身構えている。

将来の収穫への懸念はさらに大きい。ウクライナではロシアによる侵攻の影響で収穫高や作付面積が減少する可能性がある。10月に作付けされる小麦や大麦などの冬作は、肥料や農薬不足で育ちが悪いかもしれない。

トウモロコシやヒマワリなど、例年なら間もなく作付けが始まる春作は、見送られる可能性もある。ウクライナ中部の農場で年間7000トンの小麦を栽培するレオニード・ツェンティロさんによると、ディーゼル燃料や、害虫や病気から作物を守る農薬である植物保護製品の現地価格は2週間で50%値上がりしている。彼の従業員の一部は戦闘に駆り出されているという。

ロシアでリスクとなるのは、生産縮小ではなく輸出の封鎖だ。食品販売はまだ制裁対象ではないが、欧米の銀行は貿易業者への融資を渋っている。欧米諸国の政府に罰金を科されたり、欧米メディアに恥をかかされたりすることを恐れ、販売業者は窮地に陥っている。ラボバンクのマイケル・マグドビッツ氏は、ウクライナは「手が届かない」のに対し、ロシアは「手が出せない」状況だと語る。

最も警戒すべきは、紛争が世界の農業に与える影響だ。この地域は天然ガスやカリウムなど重要な肥料原料の一大供給地だ。ロシアの侵攻開始前でさえ、肥料価格は種類によりすでに2~3倍に上昇していた。背景には、エネルギー高や輸送費上昇に加え、世界のカリウムの18%を生産するベラルーシが反体制派の弾圧を理由に、21年に経済制裁を科されたことがある。

世界のカリウム生産の20%を占めるロシアの輸出が困難になれば、価格がさらに上昇することは間違いない。英調査会社CRUのハンフリー・ナイト氏は、世界のカリウムの約8割が国際取引されていることから、価格高騰の影響は世界中のあらゆる農業地域に及ぶと警鐘を鳴らす。

この結果、個人所得に占める食費の割合は近く大幅に増加するとみられる。それを最も痛感するのは、約8億人が黒海地域からの小麦に大きく依存する中東とアフリカ、アジアの一部だろう。地中海南岸の大部分に小麦粉を供給するトルコもこれに含まれる。エジプトは通常、小麦の70%をロシアとウクライナから購入する。レバノンの小麦輸入はウクライナ産だけで半分を占める。他にもウクライナ産のトウモロコシ、大豆、植物油が欠かせない国は多い。

一方、肥料とエネルギーの価格上昇に伴い、世界各地で農家の利ざやが圧迫されそうだ。ブラジルの新興企業ベルデ・アグリテックのクリスティアーノ・ベロソ氏によれば、食肉や農産物の一大生産国である同国は、カリウムの46%をロシアかベラルーシから輸入している。

保護主義が火に油を注ぐ可能性もある。肥料輸出に対する各国の規制は21年に増加しており、この傾向は加速するかもしれない。食品輸出が制限されたり、輸入側がパニック買いに走ったりすれば、07~08年に多数の国で暴動が起きたような価格高騰を招く恐れがある。ロシアとウクライナは8日と9日にそれぞれ小麦輸出を禁止した。アルゼンチン、ハンガリー、インドネシア、トルコは最近、食品の輸出制限を発表している。

簡単な解決策はない。小麦は毎年1億6000万トンが動物飼料に使われており、その一部を人間の消費に回すことは可能だが、代用すれば他の主要食品にインフレをもたらしかねない。欧米で生産量を増やし、インドの膨大な戦略備蓄を活用すれば、1000万~1500万トンと相当な供給量を生み出せるが、それでもウクライナとロシアを合わせた年間輸出量の3分の1に満たない。

さらに遠隔地からの供給もあり得るが、ネックがある。豊作だったオーストラリア産冬小麦の輸出拡大に取り組んだ結果、国内の農場と港を結ぶサプライチェーンに目詰まりが起きているのだ。トウモロコシは22年に3500万トンの不足が見込まれており、各国政府はバイオエタノールの生産に用いられる1億4800万トンの一部を利用して不足を補う可能性がある。肥料不足の穴埋めはさらに難しい。カリウム鉱山の新規開発には5~10年かかるからだ。

ウクライナでの紛争はすでに悲劇だ。だが世界の穀倉地帯は破壊され、さらなる災厄が迫っている。

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